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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和34年(う)232号 判決

被告人 田守世四郎 外二名

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

理由

第二点について。

記録によれば原判決は其の第一において被告人等は「共謀の上昭和三十四年二月頃から同年五月十八日迄の間に亘り江沼郡山中町河鹿町ホ八十番地河島喜太郎方二階十四畳間において中島一義外多数の観覧する場所で『よろめき』『新鮮なる果実』『桃子の慾情』『一九五八年芸術祭参加作品』等と題する男女交接の姿態を撮影した映画を映写して観覧させ以て公然猥せつ図画を陳列した」旨認定し、之を包括一罪として刑法第百七十五条を適用したことは所論のとおりである。所論は「右の犯罪は異る観客に対し映写をなしたる都度別個の犯罪が成立するものであるから、併合罪の関係にある(最高裁判所昭和二十五年(れ)第一二九一号同年十二月十九日第三小法廷判決参照。)然るに原判決が之を包括一罪と認定し、併合罪たる各映写行為を具体的に認定しなかつたことは、法律の適用を誤つたもので其の誤が判決に影響を及ぼすこと明らかである」旨主張する、併し、所論は被告人等に対し不利益な主張であるのみならず記録によれば被告人等は共謀して犯意を継続し(犯意の単一)原判示河島喜太郎方二階十四畳間において(場所の同一)昭和三十四年二月頃より同年五月十八日迄の間連続して(時間的連続)同一の方法により同一の事情のもとに、同じ映写行為を反覆したもので、被告人等の所為は同一の構成要件に属し被害法益も同一であるから、之を包括一罪と認めた原判決は正当である。所論援用の判例は事案並びに罰条を異にし本件に適切でない。論旨は理由がない。

第一点について。

記録によれば公訴事実第一の記載が前掲の原判決第一事実と同一であることは所論のとおりである。所論は、「わいせつ図画陳列罪は観客を異にする毎に別個の犯罪が成立するものであるから、検察官は別個独立の映写行為毎に犯行日時及び観客を特定して起訴すべきである。然るに本件においてはかかる訴因の特定を欠くから、原審は本件公訴を棄却すべきであるに拘わらず右公訴を受理判決したことは不法に公訴を受理した違法がある」旨主張する。併し原審第一回公判において検察官は右公訴事実第一は包括一罪として起訴した旨釈明しているのであり右公訴事実の記載は犯行の始期終期場所方法を特定し包括一罪としての記載に欠けるところはない。従つて原審が右公訴を受理し判決したことは何等違法でない。論旨は理由がない。

第三点について。

所論は「原判決第一事実のうち昭和三十四年五月十八日の映写行為の点は証明十分であつても同年二月頃より同年五月十七日迄の各独立せる映写行為の点は之を裏付けるに足る証拠がないから原判決には証拠に基かずして事実を認定した違法がある」旨主張する。併し原判決挙示の証拠によれば原判示包括一罪の事実を肯認することができる。なる程記録によれば昭和三十四年二月頃より同年五月十七日迄の映写行為の回数、観客の特定につき捜査官の捜査並びに検察官の立証は必ずしも詳細なものとは謂い難いこと所論のとおりである。併し包括一罪たる猥褻物陳列罪における補強証拠は必ずしも所論の各回数、各日時、各観客の特定等犯罪の微細な点に迄之を要するものではなく、又被告人の自白が補強証拠と相俟つて真実の自白たることを確信し得るに足るものであればよいのである。本件において原判決挙示の証拠中被告人等の副検事に対する各供述調書、原審公廷における各供述によれば被告人等はいずれも本件犯罪を任意に自供しており、河島喜太郎の副検事に対する供述調書、領置にかかる証第一乃至十一号(映写機フイルム等)及び原判決の挙示する他の多数の証拠はいずれも被告人等の自白に対する補強証拠であり、被告人等の自供と右補強証拠を綜合すれば継続的犯意の単一性、犯行の始期終期期間、場所、手段方法態様を特定するに足り包括一罪としての証明は十分である。論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する)

(裁判官 山田義盛 辻三雄 干場義秋)

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